生きているということ。

 29, 2016 16:33

少し 自分の気持ちが落ち着いて 客観的に見つめることが出来るようになったので 記録ブログ。


2016年 9月 24日
私の父 「じじ」が 死去しました。


去年の私の絵日記倶楽部にも度々登場してきたので
さっき 絵日記を読み返していました。

2015年 6月30日に倒れてから 手術・入院・退院を繰り返し
先日まで 今 思えばあっとゆーまでした。

8年前に大腸がんの手術。
この時にはずっと吸ってたタバコをやめました。

でも大好きなお酒はずっと飲んでて・・・

今回 倒れたのは 胃がんで胃を全摘。
肺に少し影も見られ
肝臓にもがんがありました。


手術は上手くいき 経過も順調な方でした。


年齢も年齢なので 術後の抗がん剤治療は 辛くない薬をと 抗がん剤治療に励んでいましたが
最初の抗がん剤はそんなに効果が認められず
半年後 また違う抗がん剤にトライ。

しかし こちらの方が がんの進行を抑えるには効果が認められたものの
副作用がキツイらしく 辛そうで 食欲も気力もなく やつれていく一方でした。

これを続けたところで 肝臓のがんが治るわけでもなく ただ少し寿命が延びるというだけなので
じじ本人も 抗がん剤の治療をやめることに決めたのが 今年の7月でした。 



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それからは徐々に食欲が戻り 顔色もよくなって 今までで一番いい状態でした。

体重は20㎏減りましたが 悲壮感はなく 今回倒れる直前までなんだかんだ食べてたみたいです。


肝臓のがんは ジワジワ大きくなってきてましたが
抗がん剤の副作用がなくなって なんだか治った気分になってたんでしょうね。

猛暑の中 病院の検診にも駐車場から病院までしっかり歩いて
私から見ても見違えるほどでした。


この頃にもっと 色々連れて行ってあげればよかったかな。。


お酒も多少 飲ませてあげればよかったかな。。。



体調が崩れたのが 9月21日。

急な震えと 発熱・嘔吐が続き 救急車を呼んだそうです。

21日の夜中
ばば(母)から 入院した の電話。

ちょうどその時期 私も色々立て込んでて 週明けにしか行けないとばばに伝え
私の弟にも連絡し 弟も土曜日には行けると。

それで大丈夫と思ってました。

病院にいれば安心だし 何日かの入院でまたすぐ家に戻れるだろうと。


急変した と ばばから電話が入ったのが 24日の午前1時頃。

支度して 旦那と1時間後に病院に着いたときには
冷たくなっていました。

肺炎でした。

先に着いていたばばと弟が なぜだか泣いてるんです。

硬直が始まったじじの手を握りながら。



ただ 眠ってるようでした。


なので 実感がなく
私はしばらく 泣くこともなく むしろ笑ってたように思います。


またいつもの冗談だと。


肌に触れた瞬間から もしかして本当に死んだのか??と 認めざるをえない状況でした。。。



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そこから 今 現在に至ります。

なんだか自分でも何をやってるんだろう?と思ってる間に葬儀も終わってました。


荼毘に付したじじの姿を見た時

じじの身体をむしばんでいた 体中の悪い奴らが
綺麗になくなっていて

生きてる間に 散々苦しめたくせに
焼かれたくらいで綺麗に消滅するなよ と なんだか怒りがこみあげて 今まで感じたことのない感情でしたね。

死んで焼かれて やっと綺麗になれる。楽になれる。。。


そう考えると

生きる  って  
生きること って  なんでしょうね。


肝臓がんの末期症状は
本人も周りも辛い状態になります。

まだ黄疸とか 腹水とか 何も症状が出てない穏やかなじじの顔を見ていたら
そんな辛い思いをする前でよかった と いう気持ちもあり

ばばにも そんな辛い看病をさせずでよかったという気持ちもあります。


ただ 少し 早かったね。じじ。

もう少し待ってくれてもよかったのに。


体調がいいって聞いてたから
息子の運動会に 来てもらおうと思ってたのに。


後悔先に立たず。


誰かが亡くなった時には必ず
この言葉の意味を 本当に実感しますね。



最近はなぜだか
私自身が 5~6歳の頃のじじの姿をよく思い出すのです。

きっと 物心ついてからの初めての記憶の お父さん。


人間って
こうやってめぐりめぐって 命を繋げていくのですね。

じじが大好きな孫たちも
これから私と同じ想いを体験するのでしょう。


だから ずっと見守っていてください。


ありがとうございました。